よし、復職しよう!!

体験記、回想録、その他@復職活動

復職を目指す鬱男の回想録 第1回「前夜」

広大な敷地、五千人規模の社屋が常駐先。生まれ育った故郷にある優良企業。
そこで請負会社の社員として働いていた。
顧客の中には口うるさい人、しょっちゅう怒鳴る人、仕事以外では口をきいてくれない人もいたが、多くは気さくで、いつでも相談にのってくれる。
各フロアには建物の構造を支える壁以外に視界を遮るものはなく、離れた人とでも身振り手振りで意思疎通ができるような環境だった。
最上階には360度景色を眺めることができる社員食堂があり、昼休みには安くて飽きることのない豊富なメニューを楽しむことができた。
そこで働く同僚は数十人。
そのうちの何人かとは酒を飲みながら仕事の愚痴、上司や顧客の悪口を言い合う仲だった。

 

2014年10月のある日の午後、仕事中には滅多に使用しない携帯電話の呼び出し音が突然鳴り出した。画面にはその日自社のオフィスに戻っている上司Aの名前が表示されている。
特別な事情の電話。
通常の業務連絡であれば、各請負会社のブースに置かれた固定電話にかけてくるはずだ。
血の気が引いていく。
常駐している社員を一人、年内に他のチームに異動させる、そんな話が半年ほど前の自社の社内会議であったばかりだった。
当時、目標ギリギリのところにあった常駐チームの原価率をもっと抑えたいというのが理由だ。
断りたい。しかし…
携帯電話の画面を眺めながら悩む。
3コール目が鳴り、4コール目が鳴り、5コール目、覚悟を決めきれないまま電話に出た。
「お疲れ。○○さん。突然で悪いんだけど、P県に行けるかな? 今日中に決めてほしいんだけど。」
今日中。残り2時間余り。
仕事を進めながらでは差し障りなく断れるだけの理由を見つけられそうにない。
準備をしておくべきだった。
「少し時間を頂けますか? こちらから掛け直します。」
誰もいないミーティングスペースに小走りで移動し、妻に電話を掛けた。
相談するつもりだったが、結論は既に出ている。
1か月ほど前に転勤を拒否して辞めた同僚がいた。
「たった今P県に転勤できるかと尋ねられた。たぶん断ることはできない。単身赴任で行くと伝えておく。」
一戸建ての家を手放すつもりはない。年老いた両親もいる。
上司Aに電話をかけ、転勤が可能であること、そして単身で赴任することを伝えた。
「いつからですか?」
「来年の1月から。」

 

上司Aから転勤を要請されるのは2度目。
1度目のときは上司A共々D県を管轄するグループとは違う部署に在籍しており、その転勤により幸運にもD県に戻ることができた。
その6年後、AもD県に異動してきた。
そして今回の転勤。
かつて、Aからはボーナス時季の査定で良い評価を得たことはなかった。
そんなにも厄介者扱いするのか…

 

12月になり間もなく忘年会兼送別会が開かれた。
1人を除けばいつも通りの単なる忘年会。来年も同じ場所で同じ仕事をやっていく。
宴の中盤に差し掛かったところで席を立ち、望みは薄いと分かっていながらも上司の前に座って言った。
「またD県に戻って仕事がしたいです。」
上司Aが答える。
「次の職場では、ここのメンバーが持っていない技術を習得してきてね。戻ってきたら、その技術を活かせる新たな顧客を開拓しよう。」
見え透いた台詞。

 

転勤要請の数日後に、異動先の仕事が自動車開発の請負業務であることを聞いていた。
その一方で、地元のD県やその周囲で自動車開発を行なっている企業はない。
仮に開発の仕事を請け負って自社オフィスで作業できたとしても、仕様や設計、試験結果に関するミーティング等、顧客のところに足を運び対面で話し合わなければならないことは頻繁にある。
だとするなら、どんなに近い自動車メーカーの開発拠点に行くにも片道4時間以上かかるD県に自動車開発で得た技術を活かせるような仕事を引っ張ってくることなどあり得ない。

 

年の瀬の仕事納めの日、D県に戻りたい旨をもう一度伝えて職場を後にした。

 

…続く